「路面電車と岐阜の街」「路面電車」廃線の旅 高富線廃線の旅 高富線 1


廃線の旅 高富線 1




長良北町付近
長良北町(ながらきたまち)

高富線の始発駅だった「長良北町」駅(開業時の駅名は「長良」)。
大正4年、長良川に架かる長良橋が木橋から鉄橋に架け変えられ、岐阜市内線は川北の「長良」まで延長されました。
両線は直通運転を開始しましたが、当時橋上は単線だったそうです(現在の橋は昭和29年に旧橋の下流に造られたもの)。

1997年 月 撮影
1997年 8月26日
高見付近
高見(たかみ)

高富線の跡地は、ほとんどが国道256号線に姿を変えています。
道端をくまなく探しましたが、高富線の痕跡を発見することは出来ませんでした。
駅は、現在の横断歩道あたりにあったそうです。(写真手前が高富、奥が長良橋方向)。

1997年 月 撮影
1997年 9月20日
下岩崎付近
下岩崎(しもいわさき)

「下岩崎」は離合(すれ違い)駅でした。
当時は旧道沿いに街があり、線路は水田地帯を通っていたようです。
こうして道を歩いていると、時折建物と建物の間から金華山を見ることが出来ます。
山頂の岐阜城もはっきりと見えます。

1997年 月 撮影
1997年10月16日
戸羽川付近
戸羽川(とばがわ)

「戸羽川」付近では、山々の間を縫うようにして流れる戸羽川と高富線が最も接近していました。
以前の戸羽川は山の近くを流れ、線路は駅の前後で川を越していました。
廃線後には改修され、現在は国道(旧線路)と平行して流れています。

1997年 月 撮影
1997年10月19日
上岩崎付近
継子淵(ままこぶち)、上岩崎(かみいわさき)

高富線開業時の駅は長良(長良北町)・高見・下岩崎・戸羽川・継子淵・上岩崎・三田洞・粟野・高富でした。
「上岩崎」は日中戦争の頃に、「継子淵」は終戦前に廃止されました。
現在のバス停は、ほぼ旧駅と対応しています。

1997年 月 撮影
1997年10月27日
三田洞付近
三田洞 ( みたほら)

単線の高富線では電車が行き違うための離合駅が2つありました。
その1つが「三田洞」です。

1997年 月 撮影
1997年12月 3日
粟野付近
粟野(あわの)

バスの終点「高富」はずっと先ですが、高富線は次の高富が終点でした。
「粟野」駅は戦時中に一時休止され、戦後復活しています。
しかし復活後わずか十年で交通事情は一変し、高富線は廃線となってしまいました。

1997年 月 撮影
1998年 2月 7日
高富付近
高富(たかとみ)その1

バスに乗って「粟野」を出ると、次の「大竜寺前」の手前で左に分かれる道があります。
まっすぐ行った突き当たりが、かつて高富駅があった場所です。
道は「名鉄バス専用道」で、駅の跡地はバスの整備・転回場となっています。

1997年 月 撮影
1998年 2月 7日
古レール
高富(たかとみ)その2

場内は立ち入り禁止ですが南北に走る線路跡を横断するように細い公道があります。
ここから北の駅構内跡や南の線路跡を眺め、当時に思いを馳せる事が出来ます。
今回構内跡にレールがあるのを発見し、長期に渡る調査も報われて感激しました。

1997年 月 撮影 1998年 2月 7日 更新



  調査方法

  図書館で見た古地図を参考に、路線を何区間かに分け週一回程歩きました。
  また同じ所でも、地図と符合するまで繰り返し歩きました。
  わからないところは、当時を知る方にお聞きしました。

  本文を書くにあたりお話しを聞かせていただいた方々に心から感謝致します。
  ありがとうございました。
                         1997年10月18日 作者


  あとがき

  高富線の旅も終盤にさしかかった11月の中頃、「岐阜のチンチン電車」という
  写真集が郷土出版社から発売になりました。
  その素晴しい内容と貴重な写真に、個人的な調査の限界を感じています。

  しかし、写真はその日その時にその場所にいた人しか撮れません。
  私がどう頑張ってもこの本以上の本を作る事は出来ませんが、これからも岐阜
  の電車を力の限り撮り続けていきたいと思います。
                          1997年12月 3日 作者



  調査期間 1997年7月〜1998年2月





廃線の旅  高富線   Vol. 4 - 1      2005年 5月10日
初版 1997年 8月26日
URL  https://www.minoden.com/haisen-t/ht199707/ht199707.html