「路面電車と岐阜の街」「路面電車」旧揖斐線の旅


 旧揖斐線の旅


 平成17年3月31日をもって名鉄岐阜線区の全路線(名鉄揖斐線、岐阜市内線、美濃町線、田神線)は 廃止となりました。



旧下方鉄橋
 旧下方鉄橋       2004年 7月 撮影



 旧沿線図

  この地図は廃線前の路線を示した概略図です(駅名は当時)。


路線図(谷汲) 旧谷汲駅 旧谷汲駅
谷汲山華厳寺の玄関口だった。
平成8年に「昆虫館」を併設した駅舎が新築された。
毎月18日の命日には大勢の人でにぎわった。
現在は「赤い電車」が展示・保存されていて、ミニ資料館もある。
路線図(長瀬〜北野畑) 山沿いの線路跡 山沿いの線路跡
かつて谷汲線は、終点谷汲に近ず
くにつれて山岳鉄道の様相を呈していた。
やがて線路は、山の中へと吸い込まれてゆく。
本揖斐駅 路線図(更地〜稲富)  旧本揖斐駅
 印象的な屋根の旧本揖斐駅。
 沿線には牧場もある。
 歴史的価値のある建物だった
 が、後に取り壊された。
旧路線図(豊木〜黒野〜本揖斐) 旧黒野駅  旧黒野駅
 「谷汲鉄道」時代に建てられた歴史ある
 駅舎の旧黒野駅。
 かつて線路は本揖斐と谷汲へ続いていた。
 レールを使用したホーム上屋は今も大切
 に使用されていた。
旧路線図(相羽〜政田) 旧根尾川鉄橋  旧根尾川鉄橋
 根尾川は季節によって大きく水量を変化
 させる。
 その根尾川の右岸堤防と一体化していた
 のが旧下方駅。
旧政田駅構内 旧美濃北方駅  左 旧政田駅構内
 単線では上り列車と下り列車が途中の
 駅ですれ違う。旧政田駅もその一つ。
 右 美濃北方駅
 旧美濃北方駅は「岐北軽便鉄道」発祥の地。
 木組みの柱のホームではCF撮影が行われ
 た事もあった。
旧路線図(真桑〜忠節) スペース    
旧尻毛駅 旧忠節駅  左 旧尻毛駅
 ユニークな駅名が有名な旧尻毛駅。
 湿地帯で湿気が多かったのが地名の
 由来らしい。

 右 旧忠節駅構内
 旧岐阜市内線と旧揖斐線の接続駅。
 両線は直通運転を行っていた。






 旧揖斐線・谷汲線


 明治から大正にかけて全国各地で鉄道建設が盛んに行われました。
 当地岐阜でもかなり早い時期に電鉄会社が設立され、明治44年に「美濃電気軌道」が岐阜
 市内線(長良線)と美濃町線の基礎路線を開通させました。

 大正3年3月には「岐北軽便鉄道」(大正元年設立)によって忠節〜北方間が開通、揖斐線
 の歴史がスタートします。

 大正10年 岐北軽便鉄道は美濃電気軌道に合併しますが、その頃谷汲では西国33番札所
「谷汲山華厳寺」へ参拝する人の足となる鉄道の建設が進められました。

 そして大正15年4月「谷汲鉄道」によって黒野〜谷汲間が開通。
 同じ日に美濃北方(北方)〜黒野間が美濃電気軌道によって開通し、忠節から谷汲までが鉄
 道で結ばれました。

 昭和3年には黒野〜本揖斐間が開通してほぼ現在の形になりましたが、市内線との連絡には
 旧忠節橋(現在のすぐ上流にあった)などで長良川を渡らなければなりませんでした。
 その後 昭和23年8月に現在の忠節橋が架橋され忠節駅は北へ移動。
 昭和29年 ついに揖斐線と市内線のレールは直結されました。

 昭和42年には510形−520形の2両連結による直通運転がスタート。
 昭和62年に770形が、平成9年には780形が投入され現在の主役となっています。


 明治・大正の時代、地域の発展を願って鉄道建設を思い立ち、幾多の困難の末実現させた
 先人たち。
 山合いのレールを走ると、その息吹が伝わってきて胸が熱くなります。

                             1997年 3月 2日


 しかしながら平成13年9月30日 揖斐線の本揖斐〜黒野間と谷汲線全線は最後の日を
 迎える事となりました。
 鉄道という財産を後世の人に残してあげられなかった事に関して、私達はどのような評価
 をも受けなければならないでしょう。

                             2001年10月14日

 そして、平成17年3月31日をもって名鉄岐阜線区の全路線(名鉄揖斐線、岐阜市内線、
 美濃町線、田神線)は廃止となりました。

 2005年07月28日


  旧谷汲駅、旧本揖斐駅、山沿いの線路跡、黒野駅 2001年10月 撮影
  尻毛、忠節駅 2000年 5月 撮影
  美濃北方駅 2000年 2月 撮影
  根尾川鉄橋、政田駅 1999年12月 撮影






揖斐線の旅   Vol. 4 - 2      2005年07月28日
初版 1997年 3月11日
URL  http://www.minoden.com/iline/iline.html