「路面電車と岐阜の街」「路面電車」(過去のページ)揖斐・谷汲線の旅


「過去のページ」


このベージは、過去に製作したページを参考用にそのまま残したものです。

2005年(平成17年) 3月31日をもって名鉄岐阜線区の全路線(名鉄揖斐線、岐阜市内線、美濃町線、田神線)は廃止となりました。

以下のページ内容は廃止以前のものです。



 揖斐・谷汲線の旅




路線図(谷汲) 谷汲駅 谷汲駅
 谷汲山華厳寺の玄関口。
 平成8年に「昆虫館」を併設した
 駅舎が新築された。
 毎月18日の命日や「谷汲踊り」
 で有名な谷汲まつりの日は大勢の
 人でにぎわう。
路線図(長瀬〜北野畑) 更地駅 更地駅
 さくらの駅として有名な
 更地駅。
 更地を過ぎると電車は勾配を登り
 山の中へと吸い込まれてゆく。
本揖斐駅 路線図(更地〜稲富) 左 本揖斐駅
 印象的な屋根の本揖斐駅。
 沿線には牧場もある。
 2本あったホームの片方は駐輪
 場に姿を変え、パークアンド
 ライドを極めている。
路線図(豊木〜黒野〜本揖斐) 黒野駅 黒野駅
 「谷汲鉄道」時代に建てられた歴史
 ある駅舎の黒野駅。
 ここで線路は本揖斐と谷汲へ別れる。
 レールを使用したホーム上屋も大切に
 使用されている。
路線図(相羽〜政田) 根尾川鉄橋 根尾川鉄橋
 根尾川は季節によって大きく水量を変化
 させる。
 その根尾川の右岸堤防と一体化している
 のが下方駅。
政田駅構内 美濃北方駅 左 政田駅構内
 単線では上り列車と下り列車が途中の
 駅ですれ違う。
 政田駅もその一つ。
右 美濃北方駅
 美濃北方駅は「岐北軽便鉄道」発祥の地。
 木組みの柱のホームではCF撮影が行われ
 た事もある。
路線図(真桑〜忠節) スペース    
尻毛駅 忠節駅 左 尻毛駅
 ユニークな駅名が有名な尻毛駅。
 湿地帯で湿気が多かったのが地名の
 由来らしい。

右 忠節駅構内
 岐阜市内線と揖斐線の接続駅。
 両線は直通運転を行っている。
 






 揖斐線・谷汲線


  明治から大正にかけて全国各地で鉄道建設が盛んに行われました。
  当地岐阜でもかなり早い時期に電鉄会社が設立され、明治44年に「美濃電気軌道」が岐阜
  市内線(長良線)と美濃町線の基礎路線を開通させました。

  大正3年3月には「岐北軽便鉄道」(大正元年設立)によって忠節〜北方間が開通、揖斐線
  の歴史がスタートします。

  大正10年 岐北軽便鉄道は美濃電気軌道に合併しますが、その頃谷汲では西国33番札所
 「谷汲山華厳寺」へ参拝する人の足となる鉄道の建設が進められました。

  そして大正15年4月「谷汲鉄道」によって黒野〜谷汲間が開通。
  同じ日に美濃北方(北方)〜黒野間が美濃電気軌道によって開通し、忠節から谷汲までが鉄
  道で結ばれました。

  昭和3年には黒野〜本揖斐間が開通してほぼ現在の形になりましたが、市内線との連絡には
  旧忠節橋(現在のすぐ上流にあった)などで長良川を渡らなければなりませんでした。
  その後 昭和23年8月に現在の忠節橋が架橋され忠節駅は北へ移動。
  昭和29年 ついに揖斐線と市内線のレールは直結されました。

  昭和42年には510形−520形の2両連結による直通運転がスタート。
  昭和62年に770形が、平成9年には780形が投入され現在の主役となっています。


  明治・大正の時代、地域の発展を願って鉄道建設を思い立ち、幾多の困難の末実現させた
  先人たち。
  山合いのレールを走ると、その息吹が伝わってきて胸が熱くなります。

                             1997年 3月 2日

(これより追記)

 2001年(平成13年 9月30日)をもって揖斐線の本揖斐〜黒野間と谷汲線全線は廃線となりました。

(ここまで追記 2002年 6月 6日)


 谷汲、本揖斐、黒野、尻毛、忠節駅 2000年 5月 撮影
 更地駅 2000年 4月 撮影
 美濃北方駅 2000年 2月 撮影
 根尾川鉄橋、政田駅 1999年12月 撮影





のぼり
 谷汲線は2001年9月いっぱいでの
 廃線が決定してしまいました。

 この「乗って残そう 谷汲線」のぼりは、
 地元の存続を望む声にこたえ、なんとか
 谷汲線を残そうと立てられました。
 が、その願いは届きませんでした。
 









(過去のページ)揖斐・谷汲線の旅   Vol.7      2017年 8月21日
前回 2002年 6月 6日
初版 1997年 3月11日
URL  https://www.minoden.com/itline/itline.html