「路面電車と岐阜の街」今週の思い出写真


 今週の思い出写真 





 西野町電停     2000年05月 撮影
 
 今から6年前、早朝の西野町電停に停車する780形電車の画像で
 す。
 この年、2000年の9月には名鉄谷汲線全線と揖斐線の本揖斐〜
 黒野間の「廃止届」が提出され、翌年同路線は廃止されました。

 今思えば、この廃線を機に岐阜線区全線廃止への舵が切られたのか
 もしれませんが、当時の私は頑張って訴え続ければなんとかなるの
 ではないかと考えていました。
 街、市民、鉄道会社の三者、誰にとっても失うものばかりで、そん
 なもったいない事をするはずがないと思っていました。

 今一度、鉄道の持つ「社会的」な効果を再評価し、街中から失われ
 つつある豊かさと秩序を取り戻さなくてはなりません。

 (2006年06月01日)

 赤石〜北野畑駅間  2001年09月 撮影
 
 今から4年ほど前、秋晴れの赤石〜北野畑駅間を走る510形電車
 の画像です。

 この月、2001年(平成13年)9月30日を最後に、名鉄谷汲線
 全線と揖斐線の本揖斐〜黒野間は廃止されました。

 その後も510形電車は揖斐、岐阜市内線の助っ人として、またイ
 ベント車両として美濃町線まで足を延ばすなど活躍しましたが、岐
 阜線区全線が廃止となったあとはその行く末が心配されています。

 現在、510形電車を保存するための活動が行われています。
 大正15年製という貴重な産業・鉄道遺産が、ぜひともゆかりの地
 で保存されるようにしなければなりません。
 (2005年11月08日)


 尻毛駅  2000年05月 撮影

 今から5年ほど前、尻毛駅ですれ違う揖斐線の電車の画像です。

 当時は、1年前に美濃町線の新関〜美濃間が廃止され、谷汲線廃止
 もささやかれていましたが、まさか揖斐線が廃止になるとは夢にも
 思いませんでした。

 この尻毛駅周辺でも、忠節や新岐阜方面への交通手段として電車を
 利用していた多くの人々は、廃線によって生活パターンの変更を余
 儀なくされました。

 その他にも鉄道には運行による生活のリズム感、目的地へ行けると
 いう接続感、ランドマークとしての役割、公共心を学ぶ場所等々、
 数字には表しにくいけど重要な価値があるのです。
 (2005年11月03日)


 競輪場前電停  2001年02月 撮影
 
 今から5年ほど前、競輪場前電停ですれ違う美濃町線の電車の画像
 です。

 岐阜人には当たり前の事だった「路面上の電停」ですが、他の路面
 電車が走る都市では珍しい光景です。

 私は、他の都市の路面電車を訪れる旅を通じて、岐阜の路面電車が
 いかに劣悪な環境で働いていたのかを知り、驚きました。
 知らぬとは、恐ろしき事なり・・。



 更地〜北野畑間  2000年11月 撮影
 
 今から5年前、秋の深まる更地〜北野畑駅間を走る谷汲線の電車の
 画像です。

 翌年、2001年(平成13年)9月30日を最後に、名鉄谷汲線の
 全線と揖斐線の本揖斐〜黒野間は廃止されました。

 このように沿線のロケーションも良く車両も歴史的価値がある場合
 イギリスでは「保存鉄道」という方法による列車の運行が行われる
 のが普通です。

 車が大好き、でも、古いものも大切にする。
 これこそ現代のスローライフではないでしょうか。



 「全日本ひっぱれ路面電車選手権大会」  2000年10月 撮影
 
 今から5年前、第44回ぎふ信長まつり2日目に行われた「全日本
 ひっぱれ路面電車選手権大会」第1回大会の画像です。
 第1回にもかかわらず、信長まつりを観に来られた大勢の方々から
 声援をいただき、大会終了時には回送される570形をあたたかい
 拍手で見送っていただきました。
 この回送シーンは大会のもう1つの名物となり、2004年の第5
 回大会まで続くこととなりました。

 しかしこのような盛り上がりにもかかわらず、市内線の廃線によっ
 てまつりに定着しつつあった「ひっぱれ・・大会」は継続不可能と
 なりました。
 大変残念なことですが、せっかく育ちつつあった文化の芽が消えて
 しまったのです。
 こんな街ではなかったはずだ・・・これがその時感じた私の率直な
 感想です。



 忠節橋  2000年05月 撮影
 
 今から5年前、新緑の金華山をバックに忠節橋を渡る570形路面
 電車の画像です。

 しかし、けっして「5年前の風景」ではありません。
 570形は市内線ラストの日まで、この姿で走っていました。
 これこそが岐阜の良さであり、風情そのものなのです。

 私には路面電車の廃止がそのまま岐阜の良さ〜岐阜らしさ〜の終焉
 と重なって感じられるのです。
 今一度、ライフスタイルを交通から考え直してみませんか。


 黒野駅  2000年12月 撮影
 
 今から5年前、乗り換えの人々でにぎわう黒野駅の画像です。
 中央の780形は、当時まだめずらしかった全面シールの広告を付
 けています。

 先日、旧谷汲線代替バス路線の一部廃止が発表されました。
 移動手段を持たない人にとっては、たいへんな問題です。

 公共交通機関を採算だけで評価するのは間違っています。
 環境負荷を初めとして、交通福祉、公共心の教育、もっといろんな
 面から公共交通機関の必要性を考えなければなりません。


 谷汲駅  2000年09月 撮影
 
 今からちょうど5年前、夏休みも終わって少し静かになった谷汲駅
 の画像です。
 翌年、2001年(平成13年)9月30日を最後に、名鉄谷汲線の
 全線と揖斐線の本揖斐〜黒野間は廃止されました。

 たしかに車で直接行ける観光地は便利ですが、最近では車で行けな
 い観光地が人気です。

 夏休みの思い出づくり、電車の旅・・岐阜では多くの選択肢が無く
 なってしまいました。


 早田電停  2000年08月 撮影
 
 岐阜市内中心部の長良川では毎年夏に2つの大きな花火大会が開催
 され、大勢の見物客で賑わいます。

 花火大会当日は揖斐線、美濃町線では臨時列車が増発され、複線の
 岐阜市内線では折り返し運行によるピストン輸送が行われました。

 路面電車が無くなった今年も、花火大会は盛大に開催されました。
 翌日、街はいつもの静けさを取り戻しますが、去年よりも寂しくな
 ったように思えてなりません。


 本揖斐駅構内  1999年04月 撮影
 
 2001年(平成13年)9月30日、この日を最後に名鉄揖斐線の
 本揖斐〜黒野間と谷汲線全線が廃止となりました。

 黒野〜本揖斐間は昭和3年に開通しました。
 旧本揖斐駅駅舎は開通当時に建てられた歴史のある建物でしたが、
 2003年後半頃、保存の願いも空しく解体されました。

 その後2005年(平成17年)には残っていた揖斐線(忠節〜黒野
 間)も廃線となりました。


 美濃駅構内  1998年06月 撮影
 
 1999年(平成11年)3月31日、この日を最後に名鉄美濃町線
 新関〜美濃間は廃止され、88年の長い歴史に幕を閉じました。
 しかし長年馴れ親しんだ鉄道を惜しむ声は強く、2000年には旧
 駅舎とホーム、車両を整備した文化・交流・観光施設「旧名鉄美濃
 駅」としてオープンしました。

 この画像は廃止前年1998年の美濃駅構内を撮影したものです。


 新岐阜駅前  1999年07月 撮影
 
 かつて運行されていた「ちんちんビール電車」の画像です。
 この季節、必ずと言っていい程テレビのニュースで取り上げられる
 のが「ビール電車」の話題です。

 乗客離れが言われるなか、この「ちんちんビール電車」は結構人気
 があり、冬期には「ちんちんおでん車」も走りました。

 廃線の理由をお客さんが乗ってくれないからとすることは、問題の
 根本を見失う結果となるかもしれません。
 お客さんが離れたのは、必ずしも電車に乗りたくなかったからでは
 なく、乗りたい電車がなかったからではないでしょうか。

 岐阜駅北口  2001年01月 撮影
 
 今から4年前の画像です。
 かつて旧タイプの路面電車は「古くさい」という議論がありました。
 しかし1両でも残した街では観光客に人気となり、旅番組では必ず
 といっていいほど取り上げられています。

 中量交通機関として、街めぐり・観光用として・・・観光地といわ
 れる都市には、今や路面電車が欠かせません。







今週の思い出写真   Vol. 2 - 2      2006年06月01日
初版 2005年08月01日
URL  https://www.minoden.com/omoide/omoide.html